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ペルー共和国は、南アメリカの太平洋側の国。首都はリマ。 エクアドル、コロンビア、ブラジル、ボリビア、チリと国境を接する。現在大統領制。16世紀まではインカ帝国、その後スペインの植民地時代はペルー副王領の中心地であった。
ペルーの歴史 1000B.C.頃〜200B.C.頃、アンデス全域にネコ科動物や蛇、コンドルなどを神格化したチャビン文化が繁栄する。その後、北海岸にモチェ文化がA.D.100頃〜A.D.700頃、現トルヒーヨ市郊外に「太陽のワカ」「月のワカ」を築き、南海岸では、A.D.1頃〜A.D.600頃に、信仰や農耕のための地上絵を描いたナスカ文化が繁栄した。 南部の山岳地帯のアヤクーチョ盆地に、A.D.800頃、ワリ文化が興隆した。ティワナクの宗教の影響を強く受けた文化であったと考えられ、土器や織物に地域色は見られるものの統一されたテーマが描かれること、いわゆるインカ道の先駆となる道路が整備されたこと、四辺形を組み合わせた幾何学的な都市の建設などからワリ帝国説が唱えられるほどアンデス全域にひろがりをみせ、A.D.1000頃まで続いたと考えられる。北海岸のランバイエケ地方には、金やトゥンバガ製の豪華な仮面で知られるシカン文化がワリ文化の終わりごろにダブって興起した。 その後、北海岸にはチムー王国が建国され、勢力を拡大した。首都チャンチャンは、王の代替わりごとに王宮が建設されたと思われる。15世紀になると南部の山岳地帯から征服戦争を繰り広げて急速に勢力を拡大してきたタワンティン・スウユ(インカ帝国)によってA.D.1476頃に征服されて、その支配体制に組み込まれた。インカ帝国はクスコを首都とし、16世紀中頃までが栄えていたが1533年、フランシスコ・ピサロ率いるスペインの侵略者たちによる13代インカ(皇帝)のアタワルパの絞首刑と共に崩壊。その後1821年に独立宣言するまでスペインの植民地となる。 植民地下のペルーでは金銀などの鉱物の搾取が宗主国スペインによって行われ、鉱山開発に酷使された先住民の多くは苦役の末に死亡し、その数は100万人とも言われる。 1821年にホセ・デ・サン=マルティンの指導のもと独立を宣言したが、スペイン政府は固執。1824年にシモン・ボリーバルがアヤクチョの戦いでスペイン軍を撃破し、スペイン勢力を一掃。事実上の独立を果たした。しかし、スペインがペルーの独立を認めるのは1879年である。 1879年にはボリビアと同盟してチリと戦争を起こし、硝石鉱山を争った。しかし、敗北し、貴重な資源であった「グアノ(海鳥のフンからなる硝石資源)」の鉱山も荒廃した。 19世紀には豊富な地下資源に着目したアメリカ合衆国や英国の経済支配が進むが、それに反発してインディオ知識人層らによって「アメリカ人民革命同盟」が設立された。 1908年には支配下階層の分裂の間隙をぬってレギア政権が誕生。20年にわたる独裁をしく。 1920年代にはアヤ・デ・ラ・トーレがアメリカ人民革命同盟による政権奪取を狙ったが軍部に阻まれ失敗。それ以降同同盟は民族主義路線を放棄し、支配体制に組み込まれた。 その後何度かの政変を経験したあと1968年にはベラスコ将軍が軍事クーデターを起こし、反米と自主独立を旗印に「アメリカ人民革命同盟」の標榜した路線を推進していく。いわゆる「ペルー革命」と呼ばれるもので外国資本の国有化や第3世界外交が展開された。しかし、ベラスコは経済政策の失敗で1975年に失脚した。 1980年には民政に移り、ベラウンデ・テリー政権が誕生。しかし、災害や不況で政権運営は多難を極め、センデロ・ルミノソなどのゲリラ勢力が力をつけてきた。 1985年、ガルシア大統領を首班とする「アメリカ人民革命同盟」の政権が発足し、国民の支持を背景に民族主義を掲げ、外交では強硬な路線をとる一方で、内政では貧困層の救済に尽力した。しかし1988年にはインフレの発生と治安悪化を理由に退陣した。 1990年に行われた大統領選挙では日系人のアルベルト・フジモリが勝利し、南米初の日系大統領となる。彼は、インフレ抑制と財政赤字の解消による経済政策で悪化したペルー経済の改善を図った。 1992年4月にはフジモリは議会を解散し、憲法を停止。アメリカ合衆国などから「非民主的」と非難された。 それを受けて同年11月には憲法制定議会の選挙を行い、大統領権限を強化した憲法を国民投票の結果、発布にこぎつけ、内外の非難をかわした。 1994年からは軍部よりの政策になると首相辞任などの政治混乱を招いた。 1997年に武装勢力による日本大使公邸占拠事件が発生した。
マチュ・ピチュ(Machu Picchu)は、現地語では「老いた峰」の意味で、よく保存されたインカの遺跡である。ペルーのウルバンバ谷 (Urubamba valley) に沿う高い山の尾根(標高約6,750ft、2,057m)に位置し、山裾からはその存在を確認できない。しばしば《インカの失われた都市》あるいは《空中の楼閣》と呼ばれる。この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13Km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。マチュ・ピチュに関する多くの謎が未だに解明されていない。 熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいる。行政上クスコと同じ地域に属している。現在ペルー国内では10ヶ所あるユネスコの世界遺産のうちでは最初にクスコと同時(1983年)に指定された。

出展:wikipedia

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